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当社は1970年私の父であります小杉健三が旧韮山町(今は合併して伊豆の国市)にて創業いたしました。世界遺産であります「韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)」のある地域で有名な場所ですが、本当に韮山反射炉のすぐ近くが創業地です。
創業当時は法人ではありませんでしたが、最初から屋号として「共立製畳(きょうりつせいじょう)」と名乗り、2020年でかれこれ50周年を迎えます。
先代は元々熊本の出身であり、運動神経が良く、高校時代棒高跳びで全国3位の結果を残したことから、旭化成に入社し棒高跳びの記録をさらに伸ばすべく、当時の練習場のありました宮崎の延岡市にて約3年間選手として活動していたそうです。
その後棒高跳びの選手としては区切りをつけ、当時旭化成の子会社である「旭ダウ」という東京の会社に赴任し、当時画期的な商品でありました「スタイロフォーム(「スタイロ畳」の前進)」の営業を始めます。
当時の畳と言えば、「藁畳(わらだたみ)」のことを示し、そもそも畳自体に断熱材の効能を持つものはありませんでしたが、画期的な畳でありますスタイロフォームは畳そのものが断熱材にもなっている斬新な畳でありました。
畳自体が断熱材にもなっていることは今は当たり前ですが、当時は画期的な商品にも関わらず、先代は営業先であります畳屋さんへの営業に非常に苦労したと聞いております。あくまで畳は畳。畳と言えば藁の畳が当たり前で、いくら断熱効果があろうが営業をかける先の畳屋さんにはその良さが中々理解されなかったそうです。
営業先として、関東一円を回っておりましたが、度々静岡県に来るにつれ当時の自然豊かな韮山町の場所に惹かれていたというのもあって、「画期的な畳が中々畳屋に売れないのであれば、自分が畳屋になって売ろう!」という意識が芽生え、そして一念発起し韮山町にて共立製畳を創業するに至ります。
その後業態拡大のため、1973年に旧大仁町(現在の伊豆の国市)に工場を建てて今に至ります。
先代は棒高跳びの選手でもありましたしとてもパワフルな人でございましたが、後を継ぎました私はあまりパワフルな感じではなく、あくまで堅実なタイプであると思いますが、代々地域に畳屋として根付いてきた地盤を汚すことなく、畳を通して日本家屋の魅力を多くの人々にお伝えするために、僭越ながら日々精進をさせていただいております。
畳をはじめ、和室にご興味が少しでもございましたら、何でもお気軽にご相談くださいませ。
畳のヘリは「縁」と書きます。
これからも一期一会の「縁(えん)」を大事に仕事をさせていただきます。
これからの共立製畳にご期待くださいませ。